by 出田 岳志 ,
マーシュ ジャパン
今後30年間での発生確率80%―よく知られる南海トラフ地震の発生確率であるが、実際に起こる損害をイメージすることは難しい。地震発生時には、東海、近畿、四国、そして九州2県で約9割の停電と一帯のライフライン遮断が予想されるため、サプライチェーンへの影響は必至であり、一企業だけでは対策に限界があることは 明らかである。政府は、この被害想定をもとに地方自治体、そして民間に「自助」による対策を促すものの、地方自治体も政府からの公助(事後の補償)を期待し、自助を進めるインセンティブが働きにくいという日本の構造的な問題が浮き彫りになっている。実際、東日本震災の災害復旧事業は、80%以上が国庫負担、残りは震災復興特別交付税からねん出され、地方自治体の負担はなかったと言われている。南海トラフ地震による被害額は220兆円と想定されており、この金額は東日本震災23兆円の約10倍、年間国家予算の2倍ともなる。このような莫大な被害となれば、国庫取り崩しと増税による公助では賄いきれないことは明白だ。政府主導で官民一体のリスクコントロール(軽減策)とリスクファイナンス(財政的な転嫁策)の具体化が求められる。
南海トラフの評価対象領域とその区分け
出典:「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)」(地震調査研究推進本部)2013年
災害リスクファイナンスは、SDGsの目標のひとつである「住み続けられるまちづくりを」の達成のため、都市のレジリエンス強化策の話題の中心になっている。日本は前述の通り、復興主体が国に偏っており、有事のファイナンスについても国庫不足分は国債などの借入、増税に頼りすぎている。東日本震災は復興特別税で一部財源を確保し、残りは子ども手当や高速道路無料化凍結などの予算圧縮で賄われたと言われている。格付機関S&P社のレポートでは、仮に、日本で再び東日本大震災と同等の地震が発生した場合、国債格(ソブリン)が2段階格下げとなる見通しを示している。それより甚大な被害が想定される南海トラフ地震が発生すれば、国債の国内消化が難航し、ソブリン低下による高金利の借入をせざるを得なくなる。日本の財政破たんリスクが格段に上がり、国家の危機と言っても過言ではない状況にもなり得る。
巨大地震の被害想定額比較
内閣府発表の数値に基づきマーシュが作成
世界銀行は、世界のプロテクションギャップ(リスクの財務的大きさに対して、保険などの財務的転嫁のプロテクションの差:保険を手配した場合も実損害を賄えない部分を含む)の解消を目的に、リスクファイナンスや防災投資に積極的に取り組んでいる。例えば、フィリピンの自然災害に対する再保険プログラムの構築例や、チリ、メキシコ、コロンビア、ペルの4カ国を対象とする地震CATボンド組成の実績などがある。また、前述のSDGsの目標達成のため、このプロテクションギャップを埋めるべく低コストで広く世界に普及できる先進的な保険商品開発が求められていた中で、保険業界が最近開発した「パラメトリック型保険」への期待度は高い。これは一般的な地震保険と異なり、保険発動の震度などのパラメーターに応じた保険金支払条件のため、損害額確定の査定が不要で、迅速に保険金が受け取れ、即座に復旧費用として投入できる点が大きなメリットだ。ニュージーランドのカンタベリー地震(2011年)では、地震による操業中断損害を補償する保険を手配した企業のうち、保険金入金タイミングが早かった企業ほど売上回復が早いという統計が出ている。
では、日本が国家レベルでCATボンド、保険を検討した際、それを引受できるマーケットは存在するのだろうか。答えは、資本市場を活用すれば十分可能である。
上記の通り、現時点における日本の保険市場だけではキャパシティが不足しているが、世界的な低金利を背景にキャピタルゲインが期待できる保険市場に資本が流入してきており、ロンドンマーケットなど日本の地震リスクも積極的に引き受けるマーケットが存在する。世界銀行が提唱する保険やボンドの組み合わせによる最適なリスクファイナンススキームは、日本にとっても参考となるだろう。
企業としては、前述の通り、自社で対応ができない項目があるにせよ、南海トラフ地震発生後に起こり得る事象を想定して、国家と同じく、リスクコントロールとリスクファイナンスの両輪のバランスを取ったBCP対策をすることが賢明だ。地震リスクのリスクコントロール策として、耐震補強を有効策の一つとして実施している企業も多い。確かに耐震補強は、建物倒壊リスクの軽減によって、最優先の人身被害を防ぐのに一定の効果はあるが、BCP対策としては不十分だ。実際、熊本震災で被災したある製造メーカーでは、倉庫の建物被害はなかったものの、倉庫内の在庫品の散乱により事業継続に多大な支障をきたした例がある。また、リスクコントロールはリスクの低減策であり、財務リスクをゼロにすることはできないため、財務的損害が起こる前提でリスクファイナンスの最適化を検討する必要がある。
地震保険は、地震リスクヘッジのリスクファイナンスの有効な一手段であるが、より有効性を高めるためには、まずは自社の地震による予想損失額を定量化し、その結果に基づいた保険設計と保険手配を手配することが望まれる。最も大事な点は、建物、機械などの資産損害のみならず、操業中断による利益損害も、予想損失額に加味することである。マーシュが東日本震災により罹災した顧客の保険金請求支援件数137件を統計したところ、損害額の76%が操業中断によるものだった。この操業中断には、自社の直接的な損害のみならず社内外サプライヤーや電気、ガス、水道の遮断によって間接的に操業中断を被ったものも多く含まれ、やはり地震による最大の損害はサプライチェーン寸断による操業中断/利益損害であるとの裏付けとなる。最近は、かなり精度の高い災害シミュレーションが可能であり、ある製造メーカーは1次から5次サプライヤー約7000社の被害額をシミュレーションで試算、寸断された道路を考慮した物資輸送計画の立案などのサプライチェーンマネジメントに活用している例もある。自社のみならず、サプライヤーを含め、業界内や場合によっては地方自治体とも情報共有し、有事の共助体制の構築も望める方向でBCP対策の検討を進めることが求められる。
(注)本コンテンツについては2019年にリスク対策.comに寄稿したものから、一部内容を修正して転載しております。